気をつかって生きる
自分は今まで人に気を使って生きてきた。
なぜか?それは人に嫌われるのが怖かったから。だから人の顔色をうかがって、うまく合わせるようにしてた。
さて、そんな自分でいたことを思い出すと、いろいろと気づくことがある。
それは、人に気を使っていると、人からの称賛を素直に受け入れられないということ。
具体的に言うと、自分は今まで周りの優しい素晴らしい人たちから たくさんの有難い嬉しい言葉を貰ってきたと思う。でも、自分はそれを大切にしてこなかった。なぜなら驕ってしまうことが怖かったのと、心から信じていなかったからだと思う。
たぶん、素直に受け入れてなかった。それは、その言葉は自分に気を使って言っているんだ、と思っているから。
それは結局、自分が人に対して行っているから、自分も人から気を使われていると思ってしまうのだと思う。
だから、これからは心の声を発信しよう。そして、心から人の声を受け止めよう。
これが論語でいう「信」であり「忠」なんだと思う。
(昔の気づきノートから抜粋)
今、いろんな人が「自分の気持ちに正直になれ」と言っている。
堀江さんもそうだし、西野さんもそう。そしてそのような人たちがフューチャーされる時代となった。YouTuber もそうだし、ブロガーの方もそうだと思う。
でも実はこの「自分の気持ちに正直になれ」とは2000年以上前から言われていて、その言葉が今でも語り継がれている。
それがさっき言った「忠」である。
『忠』とは 「心」の真ん「中」と書く
つまりは自分の心の中心に従うということ。要は自分に嘘をつかないということである。
これを昔の人は「目指すべき在り方」として述べている。このことを思うと、今も昔も人の本質的な部分は変わらないんだな、と思う。
逆に言うと、自分に正直になることは意識をしないとできないのかもしれない。
先天的にできる人もいる。でも、自分を守るために自分の気持ちに蓋をする人もいるのではないか。自分だけではないのではないか、と思った。
そんなことを思っていたら、大学時代からの友人が「俺、人に嫌われるの怖いからさ~」なんて飲みの席で軽く言っていた。
あ~そうだよね って
この気持ちは自分だけではないんだなって
なんだか心が軽くなったのを覚えている。
そう、だから自分はそんな自分も受け入れて、その上で心からの声を発信し、心から人の声を受け止めようと思う。
もし自分と似たような人で、自分と同じように思っている人がいたら嬉しいなぁ。