重版出来 第5話
生命保険の営業をやっていた時のこと
成績が上がらずに悩んでいた時に先輩からこの『ドラマ「重版出来」の第五話』を教えてもらった。
内容は主人公の華(駆け出し社員)がエース級の先輩(オダギリジョー)の行動を観察していた時にあることに気付く。それは「落ちているごみを拾う」「明らかに車が通らない道でも信号を守る」「困っている人がいたら助ける」というものだ。
そして、その行動が一貫していることに尊敬の念を抱き、華はその行動の理由を直接本人に聞いた。すると返ってきた答えは
『俺も社長から教えてもらったんだ』と
そして社長から教えてもらった話へと移る
その昔、社長はある貧しい家に暮らしていた。父親は外に女をつくり、母親と二人で過ごしながら、中学の卒業式を迎えた。「これで働ける」「これで少しでも母さんに楽させてあげられる」と嬉々として卒業証書を片手に帰宅すると、そこに母親の姿は無かった。
母親に蒸発され、絶望と怒りの中、ひたすらに炭鉱で働き日銭を稼ぐ日々が続く。性格も荒み、周りの環境も荒んだ。その荒れた連中と盗みやケンカに明け暮れて、世の不条理さの憂さ晴らしをする。そんなとき、いつもと同じように憂さ晴らしをしていると川沿いで夜中にポツンと一人釣りをしている老人を見つける。
「俺に任せておけ。」と仲間に言い残し、一人その老人のそばへ行き「金をよこせ」と首元に鎌をあてる。
しかしその老人はピクリとも動かず、ただ釣り糸を垂らしながらつぶやく。
『俺を殺したら、お前の運は尽きるぞ』
『良いこと教えてやろう』
『運は貯められる』
『世の中は最終的に0になるようにできている。だから良いことをすればその分 運は貯まり、いつかそれが返ってくる』
『逆に人を殺しでもしたら一巻の終わりだ』
『大切なことは、いつ運を使うかだ』
『そして運を使いこなすために考えろ。考えて考えて吐くほど考えろ』
『すると自ずと世界は開けてくる』
『俺の言うことが信用できないか?なら、それがお前の運だ。』
『運を使いこなせ』
この言葉を受けてその日に村をでる決意をし、上京する。
上京し、工場でまじめに働いた。ある日、同僚からある一冊の本を貰う。
それを帰ってから読むと、なぜか涙があふれてきた。その本を読み終えたとき、自分の中で何かが変わった。
その時を機に勉学に励み、その本を出版していた会社に就職する。
そしていつしかその会社の社長になっていた。
その社長のデスクにはいまだにその時の本[宮沢賢治詩集]が慈しむように置かれている。
みたいな、とってもメッセージ性のある話で感動していた。
この第5話の終わりは3000万円の宝くじが社長の手元に訪れたが、社長は「ここで運を使うわけにはいかない」とその宝くじを孫娘に与え、何も知らない孫娘はそれをハサミで切り刻む。そして社長が孫に言う。
『宝くじで当選者が申し出なかったとき、そのお金は恵まれない人たちに寄付されるんだよ』と。
この社長の[運の使いどころ]というのが面白い。
それは『社員のため、会社のために運を使いたい』というもの。
TVerで改めて見直すと、やっぱり良い回だと思う。
そしてそれを教えてもらった次の日から毎朝会社のトイレを掃除した。出社するときにごみが落ちてたら拾った。すると、成績はすぐに上がらなかったが、人との良いご縁に恵まれた。そしてその縁は今後の人生において非常に大事であるとしみじみ思う。
実体験として、このドラマの話は非常に味わい深い、真理に触れるような話だと思う。
できれば多くの人に知ってもらいたくて今回書いたけど、どうか伝わる人には伝わりますように。
ハムスターがよくやるカラカラカラーってやつ
「空回り」これは私の課題だ。いつも気持ちが先走って行動に無理が出たりして、結果思うように成果が出なかったり、人に迷惑をかけたりする。
では、この課題を解決するにはどうすればいいか?
その答えがある言葉で開けた。
その言葉とは、
『知足安分』(ちそくあんぶん)
「足るを知り、分に安んず」(たるをしり、ぶんにやすんず)
知足とは、足りていることを知ること
安分とは、自分の境遇や身分に満足すること。
非現実的な高望みをせず、自分がおかれた状況を把握することで、地に足をつけた心が定まる。つまり、空回りせずに着実に成長することができる。ということ。
なるほどなと。
確かに今までの自分は「もっとやらなきゃ」「もっとやらないと追いつけない」「ここも足りない、ここも足りない、これを埋めるにはもっと頑張らないと」というある種の脅迫観念の基に行動していた。そして、「思いは実現する」という信念で非常に高い目標を挙げていた。
結果、自分に無理がでて、思うような成果は上がらなかった。
上の言葉の『自分がおかれた状況を把握する』ことが非常に大事なんだと。今の自分の境遇を受け入れることで、今の自分に合った努力の仕方が見えると。
なるほどねぇ。
自分を見失いそうになったらこの言葉を思い出したい。
『知足安分』
目標と目的と夢
「ザ・コーチ」という本の中に『目標と目的とゴールとビジョンと夢のそれぞれの意味ってなんだと思う?』という節があった。
確かに改めて聞かれるとパッと答えられないかも。
この本では
目的:最終的に目指すもの。成し遂げたいこと。
目標:目的を達成するために設けた基準。具体的な行動・数字。
ゴール:最終的な目標。
ビジョン:目標を達成したときの具体的な想像。その時の気分を想像で味わうことが目標への行動につながる。
夢:目的・目標を見つけるための材料。
例えば、自分の場合。
多くの一人暮らしの高齢者の心を豊かにしたい。(目的)
そのために、地域のコミュニティースペースを造ろう。(ゴール)
まずは資金1000万を40歳までに貯めよう。(目標)
そのために毎年100万円貯める。(目標)
そのためにまず、今いる環境でトップの成績を残そう。(目標)
みたいな。で、さらに深堀すると
じゃあトップの成績をあげるためにはどうすればいいのか?(現在トップの人はどんな人なのか?)
いまの自分にはどのスキルが足りないのか?
そのスキルをつけるには何をすればいいのか?
と、より具体的に今の行動が決まってくる。
そしてこの行動をこつこつと積み重ねる、また、真剣に取り組むことで、目標に近づく。
ただ、この「行動をコツコツと積み重ねる」ことが難しい。なぜなら人は感情の生き物だから。楽しくないことを続けることは難しいから。
そこでビジョンを使う。「目標を達成した姿」を想像して、その時の気分を味わう。これが目標に向かうための原動力となる。目標のための行動がしやすくなる。
そしてこのそもそもの「なんでこの目標のために行動するか」という根本の部分。目的(企業でいうとフィロソフィ、理念)はどうして生まれたのか?
それは、その人の心からの欲求からきている。つまり夢だ。
要するにこの本では、夢をたくさん抱き(どんなものでも何個でも)その中か本当に成し遂げたいものを挙げる(自然と残る)。これが目的となり、そのために具体的に何をするのか目標をたてる。そしてその目標を達成するために今、具体的にどのような行動をするのか考え、実行する。この時に目標を達成する姿を鮮明にイメージすると、そしてそのイメージを持ち続けると、目標への行動を継続的に、より力強く行うことができる。ということみたいだ。
確かにそうだよなー。
問題はこの「行動を継続する」ということ。要は「あきらめない」ということ。
そこで目標を達成する自分をいかに想像できるか。目的を果たす自分を想像できるか。が大事なんだなー。
でも不調のときはそれどころじゃなくなってしまうから、難しい。そうならないために日ごろからイメージして深層心理に浸透させろってことなのかな。
毎日寝る前に目標達成した自分をイメージしてから眠る とか。それを習慣にすればできそうだな。
まずは3日。そして3週間。そして、3か月。やってみるか。
人の行動はすべて、目標によって確定される
「人の行動はすべて、目標によって確定される」
アドラー心理学の言葉である。
実にシンプルで、わかりやすい。でも、深く考えてみると「なるほどな」と思う。
人は目標をたてると、その目標に向けて計画を立て、思考し、行動する。
また、色々な選択を迫られたときに一つの指標ができる。
「この選択は目標に対して近づくことができるのか」と。
つまり、チャンスを見出しやすくなるのだろう。何も思わない人にとっては特に気にすることのない事でも、目標を目指している人にとっては前進するチャンスかもしれない。
このことは「思考は実現化する」という考え方と通じてくる。
目標(思い)を持つことで、行動が変わる。すると行動の結果が変わる。結果として周りの環境が変わる。そして目標(思い)に近づくことができる。
では、「目標が持てない、思いつかない」場合はどうしたらいいのだろうか。
実際自分もそう思った時がある。
目標を掲げ、絶対に達成すると心に決め、一生懸命行動した結果、途中で耐え切れなく挫折したときだ。もう、この時の挫折感と喪失感はすごかった。今まで積み重ねてきたものが全て無駄になるような感覚。この時の喪失感はまさに「目の前が真っ暗になる」だった。
今はその目標を取り戻し、また前を向いて歩きだしている。
その目標を取り戻すきっかけは何だったのか。
それが前に「人が成長するきっかけは3つのこと」として話した
「いい人」「いい本」「いい旅」だった。
つまりは「良いエネルギーを放つ人と話すことで自分のエネルギーも満たされ」「いい言葉に触れることで心を満たし」「ひとり静かに自身を振り返ることで自分という人間を知ることができ、また受け入れること」ができた。
結果として、また前を向き、新たな目標を掲げて進むことができたのだ。
では、「そもそも目標がない、見つからない」人はどうすればいいのか。
別に目標がないから悪いとか、目標がある人が偉いとか、そういうのではなく、ただ今は目標はないけど 目標をもって生きてみたいなぁという人に対して何かしらの手助けになればと思って書いている。
実はこれも先ほどと同じく「いい人」と「いい本」と「いい旅」なのだ。
たとえば「尊敬するかっこいい先輩」がいたら、その人が目標になりえる。また友人の尊敬するポイントを「自分もこうなりたい」と思う。これが目標になる。
たとえば「過去の偉人伝をみて感動した」と。「自分もこんな考え方、行動をしたい」と思ったらそれが目標になる。
たとえば「過去を振り返ると色んなことがあったなぁ。あのときの良い経験と気持ちを周りの人たちにも感じてほしいなぁ。(逆に嫌な経験はさせたくないなぁ)」と。これが目標になる。
つまり、目標を考えるにあたって「人の影響」を受けるか、「本の影響」を受けるか、「経験から見出すか」が主になるのだと思う。
だから「目標がみつからない人」はまず「人と会う」か「本を読む」か「自身を振り返る」ことで何かが見えてくるのだと思う。実際、自分がそうだった。
これらはすべて自分の経験則から実際に実感したことを書いている。この実体験からくる言葉が多くの人のお役に立てたら嬉しいなぁ。
気をつかって生きる
自分は今まで人に気を使って生きてきた。
なぜか?それは人に嫌われるのが怖かったから。だから人の顔色をうかがって、うまく合わせるようにしてた。
さて、そんな自分でいたことを思い出すと、いろいろと気づくことがある。
それは、人に気を使っていると、人からの称賛を素直に受け入れられないということ。
具体的に言うと、自分は今まで周りの優しい素晴らしい人たちから たくさんの有難い嬉しい言葉を貰ってきたと思う。でも、自分はそれを大切にしてこなかった。なぜなら驕ってしまうことが怖かったのと、心から信じていなかったからだと思う。
たぶん、素直に受け入れてなかった。それは、その言葉は自分に気を使って言っているんだ、と思っているから。
それは結局、自分が人に対して行っているから、自分も人から気を使われていると思ってしまうのだと思う。
だから、これからは心の声を発信しよう。そして、心から人の声を受け止めよう。
これが論語でいう「信」であり「忠」なんだと思う。
(昔の気づきノートから抜粋)
今、いろんな人が「自分の気持ちに正直になれ」と言っている。
堀江さんもそうだし、西野さんもそう。そしてそのような人たちがフューチャーされる時代となった。YouTuber もそうだし、ブロガーの方もそうだと思う。
でも実はこの「自分の気持ちに正直になれ」とは2000年以上前から言われていて、その言葉が今でも語り継がれている。
それがさっき言った「忠」である。
『忠』とは 「心」の真ん「中」と書く
つまりは自分の心の中心に従うということ。要は自分に嘘をつかないということである。
これを昔の人は「目指すべき在り方」として述べている。このことを思うと、今も昔も人の本質的な部分は変わらないんだな、と思う。
逆に言うと、自分に正直になることは意識をしないとできないのかもしれない。
先天的にできる人もいる。でも、自分を守るために自分の気持ちに蓋をする人もいるのではないか。自分だけではないのではないか、と思った。
そんなことを思っていたら、大学時代からの友人が「俺、人に嫌われるの怖いからさ~」なんて飲みの席で軽く言っていた。
あ~そうだよね って
この気持ちは自分だけではないんだなって
なんだか心が軽くなったのを覚えている。
そう、だから自分はそんな自分も受け入れて、その上で心からの声を発信し、心から人の声を受け止めようと思う。
もし自分と似たような人で、自分と同じように思っている人がいたら嬉しいなぁ。
座右の書
とある本によると、人は成長するきっかけが3つあるらしい
「良い人」と「良い本」と「良い旅」だ。
確かにそうか、と思う。
つまりは「環境」と「努力」と「経験」なのだろう
ここではそのなかの「いい本」について書く
恐らく、その人それぞれに「座右の書」「自分の軸となる本」があるのではないか
それは偉人伝かもしれないし、自己啓発本かもしれないし、エッセイや漫画かもしれない。種類はさまざまだが、なにかしら影響をうけた本はあると思う。
自分はその人それぞれの「自分の軸となる本」が気になる。
その人は何を軸に考えているのか、何を大切にして生きているのか、その人の信条は何なのか、何を目指しているのか
その人の「座右の書」は、その人の本質を知るのにとても参考になる
だからいろんな人の「座右の書」を知りたい
つまりは、その人の人生を知りたい。その人の本質を知りたいのである。
では、自分の「座右の書」は何なのか
一つは「論語」であり、もう一つは「世界最強の商人」である。
なかでもオグ・マンディーノ著の「世界最強の商人」は社会人になってこの本と出合えて良かったと思う。
内容は、ビジネスマンとして 人としてどのようにして生きていけば良いかが具体的に記されている。中でも「私は今日という日を心からの愛をもって迎える」という節を読んだときには道が開けたような気がした。「あぁ、これだったんだ。」と。それまで「どう生きればいいのか」「どうしたら人を幸せにできるのか」「どうしたら幸せになれるのか」を探していろんな本を読んでいたが、その答えがこの本のこの節にあった。
その気付きを忘れないために毎日繰り返しその節を読み返した。
それがあって今の自分があると思う。もちろんこの書だけでなく、いろんな書からも気づきを得たし、素晴らしい仲間、大切な家族に支えられ、気づかされて今の自分がある。その中でもこの本の存在は大きい。
自分は出会う人すべての人に対して心からの愛を伝える。
その人の素晴らしい資質を見出し、高らかに称賛する。
どのような人でも褒められるべき資質が備わっているのだから。
そして、すべてを承認する。その人はその人しかいない。その人の存在は非常に尊いものであることを伝える。それは言葉でなくても、表情や仕草、声で伝えることができる。
すると、その人との間で繋がるものができる。これは友人や上司、家族や仕事の取引先など、すべての人に対して行うことができる。
そして何より、自分を愛することができる。自分で自分を承認することができる。
この「心の平和」こそが自分の求めていた幸せだと感じた。
そして、この感覚を多くの人にも感じてほしいと思って今 ここに記している。
もっと影響力をつけて、思い悩む人がいたらそっと寄り添い、共に気付けるような、そんな人になりたい。
寸草春暉
今日、美しい言葉と出会った。
『寸草春暉』(すんそうしゅんき)
この言葉の意味は「親の恩や愛情は大きく、それに子がわずかでも報いることは難しい」ということ。つまり、親の愛情は子の報いようとする気持ちよりも遥かに大きいという例えだろう
「寸草」とは、わずかに伸びた短い草のこと 子供の報いようとする気持ちの例え
「春暉」とは、春の暖かい太陽の光のこと 親の愛情や恩の大きさの例え
この言葉を知ったとき『なるほどなぁ・・・』と感心してしまった。
実際に自分は「親の愛情に報えているか?」と問われたら自信がない。
恩を返そうという気持ちよりも遥かに親の愛情を感じるからだ。
そしてこの言葉のもつ意味として、親の愛は測れないことと、子が親を想う気持ちよりも遥かに親は子のことを想っているという所に感銘をうける。
確かにそうだと。想う気持ちは親には勝てないと。
そう思わせてくれた両親に、心から感謝と尊敬の気持ちを抱く
では、自分はこの親から受けた愛情と恩をどうすればいいのか?
自分は「自分の子に同じように愛情と恩を与える」のが両親に報いることだと思う。
そうして「親の愛情」を繋げていくことが一つの親孝行なのではないかと思う。